Espace Photo 22

2人の写真ブログ

juin 2014

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諸仏堂紹介してきましたが、大伽藍最後の建物は、東塔(とうとう)です。大治2年(1127)白河上皇の御願によって創建されました。御本尊は尊勝仏頂尊(そんしょうぶっちょうそん)で、白河上皇の等身大の仏様。脇侍仏は不動明王と降三世(こうさんぜ)明王 。天保14年(1843)に焼失。礎石のみの時代が続き、昭和59年(1984)弘法大師入定千百五十年御遠忌を記念して百四十年ぶりに再建されました。根本大塔と呼応し会っているように見えます。杉木立の背景がどの建物でもうまく収まっています。

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D4s + AF-S NIKKOR 24-70mm f / 2.8G ED 

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建久8年(1197)鳥羽天皇の皇女の御願いによって行勝上人が建立した、国宝不動堂。愛染堂の向かい、大塔の鐘と並んでいます。もともと一心院谷にあったものを明治41年に伽藍に移築しました。現在の建物は14世紀前半に再建。御本尊は、行勝上人作と伝えられる不動明王で、名仏師運慶作として有名な八代童子が奉安されました。(現在は霊宝館に収蔵)平安時代の和様式の寝殿造の外観で、傑作と言われる仏堂。明治32年(1899)には国宝に指定されました。確かに平安貴族の邸宅風?の繊細な建物です。

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D4s + AF-S NIKKOR 24-70mm f / 2.8G ED 

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忙しくて写真を撮る暇がないので、先日奥日光へ行ったときの記念を1枚。帰り道の羽生PAは、えっ!と驚くような江戸風街並みになっていた。近年高速道路を使う機会がなかったので、まったく情報に疎かったのだが、これは「鬼平犯科帳」の世界を再現した作りなのだそうだ。

NIKON Df + AF-S VR NIKKOR 28-300mm f/3.5-5.6G ED

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我が敬愛する西行法師が壇上に移した御堂、三昧堂(さんまいどう)。金剛峯寺第六代目の座主、済高が延長7年(929)に建立した。三間四面の小さな御堂は、元は総持院境内にあり、諸堂の中では一番小さい堂宇。のちに西行法師が壇上に移され、修造に関わり、この堂で行法していたと言います。それを記念して、堂前には西行法師手植えの桜があり、西行桜と呼ばれています。西行法師は東密との関わりが強かったと言われていますが、この地にて更にと思うと、感慨深いものがあります。因縁浅からぬ平清盛も真言密教との繋がりが言われ、空海の懐の深さを感じざるを得ません。いろいろな意味で空海は日本の原点にいる宗教家であり、巨人と言ってもいい思想・哲学者であると思います。御本尊は金剛界大日如来。現在の建物は文化13年(1816)に再建されました。

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D4s + AF-S NIKKOR 24-70mm f / 2.8G ED 

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愛染堂の右にある、法会がある時に集会する大会堂(だいえどう)。鳥羽法皇の菩提を弔うために建立。御本尊は阿弥陀如来。現在の建物は嘉永元年(1848)の再建。

D4s + AF-S NIKKOR 24-70mm f / 2.8G ED 

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近くの家の、塀に飾ってある花をソフトフォーカスのフィルターを付けて撮ってみました。思ったより強くフォーカスがかかりましたが、ニコン純正だと種類は一つです。おそらくマイクロレンズでもう少しハイキーな接写にすると感じが出るのかも知れません。

D4s + AF-S NIKKOR 24-70mm f / 2.8G ED 

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根本大塔の右隣にあるのが、愛染堂(あいぜんどう)です。建武元年(1334)後醍醐天皇の命により建立。現在の建物は嘉永元年(1848)に再建されたものです。御本尊は愛染明王、煩悩や愛欲と言った人間と切り離しにくい本能を、向上心に変えて仏道に導いて下さる仏様です。世人の多くは足繁く通わなければいけない場所です!現在でも月に6回護摩修法が行われています。

D4s + AF-S NIKKOR 24-70mm f / 2.8G ED 

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壇上伽藍の、大塔の鐘。空海が鋳造を発願され、真然僧正の時代に完成。火災で鐘楼が焼失し、三度改鋳された。現在の銅鐘は天文十六年(1547)に完成した、直径2.12メートルの鐘です。当時の日本で四番目に大きな鐘であることから、別名、高野四郎とも呼ばれています。
高野山の仏像などを集めて展示している霊宝館で、この春、特別展示会がおこなわれていて、高野山の長い歴史の中で数え切れないほど起きた火災の事例とその残存物を一般公開しています。消火設備などなく、落雷などでかなり大きな建物からいちど火が出ると、燃えるに任せざるを得なかったのでしょう。何とか持ち出すことが出来た仏像などでも台座がなかったり、光背が壊れていたり、木造の黒く焦げている様など、当時の僧侶たちが命を賭けて守ったことが実証され、信仰の深さが想像できます。

下の画像は、別の角度からの鐘楼。右の建物は社務所、手前が金堂です。
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D4s + AF-S NIKKOR 24-70mm f / 2.8G ED 

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品川駅近くの高輪にある、高野山東京別院。高野山金剛峯寺の別院で,本山の座主(ざす)が住職を兼ねる。延宝元年(1673)江戸在番所として、現在地に創建。江戸御府内八十八カ所の第一番札所です。本堂は遍照殿と言い、もちろん御本尊は弘法大師。参詣の邪魔にならなければと、珍しく本堂の撮影が可能でした。内陣も大壇(だいだん)が横に三つ並び、護摩壇には煙も上がっていて、立派なものです。

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D4s + AF-S NIKKOR 24-70mm f / 2.8G ED 

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御影堂の前にある、三鈷の松。大同元年(806)空海が唐から帰国する際、日本で密教を広めるのにふさわしい聖地を求めて、明州の港から密教法具である三鈷杵(さんこしょ)を投げました。帰国後その三鈷杵を探し求めると、この松の木に掛かっていました。こうして高野山は真言密教の道場として 開かれることとなりました。ふつう松の葉は、2葉か5葉ですが、不思議なことにこの松は三鈷杵のように3葉になっているものがあり、それをお守りとして持っている人がいるそうです。
画像には逆光で少しフレアが入ってしまいました。山上では空の色も変わりやすく、なかなか難しいのですが実際にこう見えているのですから修正など無用と言うのが吾輩の姿勢です。

D4s + AF-S NIKKOR 24-70mm f / 2.8G ED 

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