Espace Photo 22

2人の写真ブログ

juin 2014

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この御廟橋を渡ると弘法大師空海御廟への霊域、奥之院に入ります。ただし、ここから先は残念ながら、一切写真撮影などは禁止されています。
奥に見えているのが灯籠堂と言われる拝殿。真然(しんぜん、空海の甥とも)大徳が建立し、治安3年(1023)に藤原道長によって現在のような大きな灯籠堂になりました。中央の大壇と対置するようにその奥の堂外に、ひっそりと御廟が佇み、堂内にも外の壁にも地下にも、信者の灯籠が万燈を超え、数え切れないほど奉納されています。護摩壇には火が入っていて、古い灯籠の中には千年以上燃え続けているものもあるそうです。
とにかく私語も制限されていて、読経と杉木立を渡る風の音だけですから、静謐そのものでした。思い入れもあるかもしれませんが、まったく比較するもののない空間と時間です。1200年はただの伝統などではなく、理解した上で受け入れることの出来る者、感応出来る者にとっては至高の価値を持ったものなのです。狂信は願い下げですが、大げさでもなく智・情・意すべてに働きかけてくるものが、他に何かあるでしょうか?

D4s + AF-S NIKKOR 24-70mm f / 2.8G ED 

これは説明不要でしょう。
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向かって左が武田信玄、右がその子勝頼の供養塔。

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豊臣家墓所。豊臣秀吉とその母、秀吉の弟秀長とその妻など豊臣一族の墓があります。

D4s + AF-S NIKKOR 24-70mm f / 2.8G ED 

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2日目の朝早く、ついに高野山の信仰の中心であり、弘法大師空海が御入定なさっている聖地、奥之院に向かいました。一の橋から御廟まで2kmほどの参道に、おおよそ20万基を超える墓石や慰霊碑が、樹齢数百年の杉並木の中に立ち並んでいます。

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D4s + AF-S NIKKOR 24-70mm f / 2.8G ED 

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金剛峯寺からメインストリートを東に15分ほど、宿坊に選んだ遍照光院(へんじょうこういん)というお寺です。天長9年(832)空海によって創建された寺院。大師が禅定に入られた寺院として知られ、禅定の間に時々光を放つ奇跡が起こったため遍照光院と称されました。御本尊は霊験あらたかな大師作の柿(こけら)不動尊。阿弥陀三尊や不動明王、快慶作の阿弥陀像を祀っています。
それほど広くはありませんが、手入れの行き届いた庭園や比較的新しい居室に泊まれ、快適でした。もちろん食事は肉も魚もない精進料理でしたが、三の膳まで付く美味しいもので、年寄りには量が多いほどでした。翌日の朝の勤行に立ち会いましたが、長い歴史の、ある一日として瞑想に浸ることの出来た時間でした。おそらく信仰とはこの種の体験の延長なのでしょう。無神論まで包含してしまう、よく言われる空海の懐の深さを感じました。著作の中で説かれている即身成仏の本意も、何気ない日常の意識の中にあるのだと言う教えにあるのかもしれません。

本堂と護摩堂、中庭と居室です。
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D4s + AF-S NIKKOR 24-70mm f / 2.8G ED 

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金剛峯寺の鐘楼。万延元年(1860)に山上の大火で類焼後、元治元年(1864)主殿などとともに再建されました。

D4s + AF-S NIKKOR 24-70mm f / 2.8G ED 

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山内の中心にある、東西約60メートル、南北約70メートルの主殿。東半分が青巌寺、西半分が興山寺を合併したもの。これ以外にも奥殿、別殿、新別殿、書院等々があります。現在の本殿は、度重なる火災によって焼失したため、文久3年(1863)に再建。檜皮葺の屋根には天水桶と言う雨水を貯めた桶が置かれていて、類焼を防ぐ役目を果たしたと言います。もちろん残念ながら内部は撮影禁止です。主殿の拝観も一部分のみ、後陣などは入ることが出来ません。

D4s + AF-S NIKKOR 24-70mm f / 2.8G ED 

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いよいよ総本山金剛峯寺です。文禄2年(1593)豊臣秀吉が母親の菩提を弔うために寄進した青巌寺が前身です。明治元年(1871)に金剛峯寺に改号。このお寺の住職は座主(ざす)と呼ばれ、高野山真言宗管長が就任することになっています。従って、密教の研究から寺院経営、全国に布教する僧たち全てを統轄する役目を担っています。そう言う意味では高野山全体を金剛峯寺の名で呼ぶこともあるようです。
正門は金剛峯寺の中で一番古い建物です。昔この門を正面から入れるのは、天皇、皇族、高野山の重職だけでした。

D4s + AF-S NIKKOR 24-70mm f / 2.8G ED 

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伽藍入り口と金剛峯寺の間にある、高い石垣の上の鐘楼、六時の鐘。元和4年(1618)福島正則が父母の菩提を弔うために建立。寛永7年(1640)に焼失し、寛永12年息子の正利が志を継いで再建。午前6時から午後10時まで偶数字に時を知らせています。左下に大伽藍の入り口が見えます。

D4s + AF-S NIKKOR 24-70mm f / 2.8G ED 

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伽藍から、通称蛇腹道を通って金剛峯寺に向かう。

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壇上大伽藍の入り口。修復中の中門から見ると裏門にあたるのか?

D4s + AF-S NIKKOR 24-70mm f / 2.8G ED 

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山王院に並んでいる鐘楼です。かなり古いものに見えますが、なぜか情報がほとんどありません。おまけに挙げておきます。
壇上伽藍の規模の大きさは想像以上のものでした。山上にこれ程の寺社が集まっているのはそれだけで非日常の光景です。妙に心の落ち着きを感じたのはそのせいでしょうか。更に、この後挙げますが総本山の金剛峯寺、その上に117の寺院が犇めいているのですから、何かを感じない方がむしろ不思議です。無神論者がすっかり浄化されてしまいました。俗世界など・・・ ん、思い違い?
筑摩書房刊、弘法大師空海全集 8巻を古本で購入しました。漢文読み下し文と現代語訳です。もちろん原文は全て漢文で書かれていますが、高野山大学密教文化研究所、弘法大師著作研究会編定本弘法大師全集12巻が、この全集の前身である弘法大師全集(増補三版)8巻と一緒にDVD-ROM版で入手可能です。その上大日経を始めとする仏教経典ですから、もう病膏肓です。大正新修大蔵経、第18巻密教部など僧籍にある人にしか通じないでしょう。全部読み終わるまで息をしているかどうか・・・大師様にお願いしてみます。こういうときに限ってRIMBAUDが読みたくなって! もう時間が・・・

D4s + AF-S NIKKOR 24-70mm f / 2.8G ED 

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